ゆうあいの歴史

地図にない村、ゆうあいの郷が漁火の見える丘に誕生して50年のときが流れようとしています。 私たちの物語は、小さな保育園から始まりました。

過渡期:後を継いでいくもの

障がいのある方たちの人生を支える「生涯教育」という支援体系はこの時期に一応の完成をみます。しかし一方では次の時代へ向けて大きな変貌を遂げていくべき過渡期でもありました。世の中は新しい福祉の仕組みや価値観を求めはじめていたのです。おしまコロニーにも世代交代の時が確実に迫りつつありました。

開設30年ころの「ゆうあいの郷」

新理事長 大場公孝

上:ぱすてる/下:バリアフリー勉強会の様子

上:セミナーの様子(2004年)/下:TEACCHプログラム講座(2007年)

はまなす寮

開設30周年:機能共同体として

1997年(平成9年)

障がいのある方たちの一生涯を支えようと描いた青写真は、おしまコロニー開設30周年を経る頃にはほぼ現実のものとなりました。

特色のある事業の一つ一つは体系的なつながりを持った「機能共同体」として、一人ひとりの利用者を中心として密接な連携を持つことになります。

一人ひとり違った人生を支えることができるように、各施設や事業所が自己完結することなく、お互いに有機的な連携を図る。対して、それぞれの施設が自らの都合を優先するセクト主義に陥いれば、組織が硬直化して施設そのものが障がいのある方たちを隔離してしまう可能性を内包していることを自覚していたのです。

この「機能共同体」という考え方は、つねに私たちの重要なキーワードであり続けています。

開設30年ころの「ゆうあいの郷」

受け継がれるバトン

1998年(平成10年)

創業者の大場茂俊は長年にわたって障がいのある方々の幸せを真摯に願い、心血を注いでおしまコロニーという大きな事業体を作り、深い愛情とリーダーシップで牽引してきました。しかし脳梗塞で二度の入院、心労も重なりもはや満身創痍でした。

開設30周年を迎えた翌年の平成10年、体調が優れなかった大場茂俊から、当時おしま地域療育センターの所長(精神科医)であり副理事長としても大場を支えていた大場の長男、公孝へ理事長職が引き継がれます。

新理事長が誕生した4月、それを見届けたかのように創業者大場茂俊は突然天に召されました。
享年75歳、まさに”一以貫之”一つの思いを貫き通した「執念の人」でした。

大場は次のような言葉を残しています。
「人間は常に未完成である。だから絶えず教育されなければならない。幼い子はもちろん、知恵の遅れた子等も恵まれた環境と指導のもとで、より大きく成長し、社会復帰も可能となる。この事業に携わる人々は、皆執念の人でなければならない。執念によってこそ、この道も拓かれる」
これは職員に向けたメッセージであると同時に、使命に一途な姿勢を貫く大場が自分自身に課したものであったと伝えられています。

新理事長 大場公孝

法人の始まりでもある七重浜保育園が開設された2年後の、昭和30年3月10日生まれ。仕事と暮らしが一体であった大場家において保育園は家庭そのもの、生活の中に福祉がある環境下で育つ。

大学の医学部卒業後、大学病院の医局(精神神経科ほか)に入局。このころ、のちに法人の常務理事として自らを支えることになる伴侶、靖子(当時、高校教師)と結婚。

昭和63年、社会福祉法人侑愛会に入職、ゆうあい会石川診療所の所長となり、その後も第二おしま学園の園長やおしま地域療育センターの所長などを歴任。平成10年に社会福祉法人侑愛会、学校法人ゆうあい学園の理事長に就任。

法人の思想や精神を伝承しつつ、変わる時代や社会ニーズに合った相応しい姿を模索、更新しづつけています。

新理事長 大場公孝

地域の声を聞く:ぱすてるの開設

1999年(平成11年)

この時期、福祉制度の変革で施設が利用者と直接契約を結べるようになり、主体的な事業展開が求められるようになっていました。

そんな中、まず必要と考えたのが「地域の声」を直接聞くこと、つまり在宅(相談)支援事業の展開です。その最初の事業として市町村障害者生活支援センターぱすてるを開設。

ぱすてるでは函館市だけでなく周辺の町も対象とし、障がいの範囲や程度、年齢も問いませんでした。そうした例はそれまでの北海道にはなく、開設から300件を超える相談を受けます。

地域の声は一つとして同じものがありませんでした。ニーズは多岐にわたり、ぱすてるは1市4町の連絡・協議・調整会議を主催したり在宅サービスメニュー等の充実を進めていきます。

ぱすてるを皮切りに毎年のように在宅(相談)支援事業が増えていくことになり、現在ぱすてるは道南圏域の在宅(相談)支援事業所のリーダー的役割を担うようになっています。

上:ぱすてる/下:バリアフリー勉強会の様子

在宅(相談)支援事業の広がり

2003年(平成15年)

北斗市に障がい者支援センターアシスト・かみいそ(3年後に現在のアシスト・ほくと)や渡島圏域障がい者総合相談支援センターめい(2年後)が開設され、より広範囲で在宅(相談)支援事業の展開ができるようになりました。

また同年、就労に関する相談や斡旋をバックアップする職場適応援助者支援事業すてっぷ(6年後に現在の道南しょうがい者・生活支援センターすてっぷ)が事業を開始します。

同じく、知的障がい児・者居宅介護等事業やまびこ(現在はヘルパーステーションルーチェに統合)も開設しています。

その後、乳幼児部門の事業所においても多彩な在宅(相談)支援事業が用意、強化されていくこととなります。

こうした各分野をフォローするいくつもの支援事業の展開は、変わる時代や社会からの要請に応えようとするものであると同時に、相談に訪れた地域の声の一つひとつがおしまコロニーの既存の施設やグループホームにフィードバックされ、また新たな取り組みへとつながっていくことにもなったのです。

あおいそらの開設

2001年(平成13年)

2年前に開設したぱすてるに寄せられた相談のうち、自閉症に関するものは3割を占めており、そのどれもが深刻なものばかりでした。

地域の差し迫ったニーズを見過ごすことができず、大場(公)は強い信念でリーダーシップを発揮していきます。平成13年、制度に先んじて自閉症センターあおいそら(任意事業)を開設し、瞬く間に増えていった相談件数と共に信頼と実績を積み重ねていきました。

あおいそらの先駆的な実践は、国が翌年「自閉症・発達障害支援センター」を全国に設置する方針を固めるきっかけともなりました。あおいそらは自閉症者やそのご家族をはじめとした多く支持を受けて北海道で唯一の自閉症・発達障害支援センターの指定を受けます。

あおいそらの開設により、おしまコロニーが長年培ってきたTEACCHプログラムのアイディアを活用した実践ノウハウの集積が広く地域社会に還元され、自閉症などの発達障がいへの理解をより深めていくこととなりました。

上:セミナーの様子(2004年)/下:TEACCHプログラム講座(2007年)

時代に合わせて更新

2000年(平成12年)

大場(公)たちは社会や地域からの要請にも使命感を持って真摯に応えていきます。

平成12年に「通所介護デイサービスセンターかがやき荘」、「生きがいデイサービスセンターゆうあい」など一般高齢者を対象にした地域援助事業(ミニデイサービスなど)を始めました。(平成29年に事業閉鎖)

平成14年には在宅の重症心身障害児者を対象とした「重症心身障害者通園事業B型デイケアセンターにじ」を開設します。(平成24年に函館青年寮通所部と統合)

大場(公)が理事長職を継承したころは、おしまコロニーの初期に建設された施設が軒並み老朽化して、大規模な改築や増築、分割整備(ワークショップまるやま荘侑ハウス)が毎年のように続いていた時期でもありました。どれも難事業でしたが新しい時代にふさわしい姿を模索して変容させながら、強い覚悟でこれらの事業を推し進めていきます。

また一方で時代的な役割を終えた「はまなす寮」などの施設を閉鎖。はまなす寮はその後、サポートはまなすとして新しいスタートを切ることになります(他にグループホームをバックアップする拠点としてサポートかわつきサポートカームを設置)。今日までこのように時代に合わせて常に事業のあり方を更新してきました。

はまなす寮